枚方市の歴史

枚方市の歴史は古く、古事記や日本書紀にも「枚方」の名が登場しています。枚方市は古代において朝廷や朝鮮半島と深い関わりがありました。交野天神社の境内にある「樟葉宮跡」は、日本書紀に記されている第26代継体天皇が即位した場所だと考えられています。朝鮮半島の戦乱を逃れて749年に来日した百済王氏は、後に枚方に移り住み百済寺を建てたとされています。「百済寺跡」は昭和27年に国の特別史跡に指定されました。

京と大阪の中間に位置する枚方は、水陸交通の要として繁栄しました。戦国時代に順興寺を中心とした枚方寺内町が成立すると塀や堀の整備が行われ、周辺地域の流通拠点として発展しました。江戸時代には徳川幕府の参勤交代で利用された東海道の宿場町「枚方宿」が置かれました。淀川の開発も進み、行き交う三十石船から「くらわんか」と荒っぽい口調で商売が行われていました。こうして枚方は水陸交通の中継地として栄えました。

明治時代になると枚方は兵器製造のまちとして発展します。しかし昭和22年に大阪府内12番目の市として枚方市が誕生すると軍事施設は廃止され、香里製造所跡は当時「東洋一のニュータウン」と呼ばれた香里団地に生まれ変わりました。市制施行当時の枚方市の人口は4万人ほどでしたが、現在では人口約40万人で大阪府第4の都市として発展を続けています。