吹田市の歴史

吹田市の名前の由来は「行基年譜」に記載されている「次田堀川」「嶋下群次田里」などで、もともとは「次田(すきた)」だったものが「吹田(すいた)」に変化したと考えられています。「七尾瓦窯跡」や「吉志部瓦窯跡」などの発掘から、吹田市の周辺で奈良時代や平安時代のはじめに大規模な瓦造りが行われたことがわかっています。神崎川の水運、亀岡街道と吹田街道など水陸交通の要所として吹田は発展してきました。

明治22年に設立された大阪麦酒會社(現在のアサヒビール株式会社)、大正から昭和に至るまで拡張を続けた吹田操車場は吹田市の発展に大きな影響を与え、「ビールと操車場のまち」として親しまれてきました。昭和15年には三島郡吹田町、三島郡千里村、三島郡岸部村、豊能郡豊津村が合併して吹田市が誕生しました。昭和28年には三島郡新田村の下新田地区、昭和30年には三島郡山田村を合併して現在の吹田市域がほぼ確定しました。

吹田市と豊中市をまたがって建設された千里ニュータウン、昭和45年の万博開催に向けた準備は、吹田市を大きくアピールすることになり積極的なまちづくりが推進されました。吹田市は平成13年4月には特例市に移行し、特例市制度が廃止された後は令和2年4月に中核市に移行しました。