高槻市の歴史

高槻市の歴史は古く、旧石器時代から人が住み始めたと言われています。弥生時代には稲作が行われ、古墳時代には数々の古墳が造られていたことが分かっています。第26代天皇・継体天皇の陵墓と考えられる今城塚古墳も高槻市郡家新町にあります。高槻周辺は淀川や山陽道といった水陸交通路も発達しており、政治経済の中心地として栄えてきました。

戦国時代になると戦場となった町々が消失するなど大打撃を受けましたが、復興するのも早く、三好長慶が芥川城に入ると高槻は政治の中心地となりました。戦国時代から江戸時代初期には、キリシタン大名としても有名な高山右近が高槻城の城主として登場します。高槻城は江戸幕府にとって重要な拠点となり、参勤交代で西国街道が使われたこともあり、芥川宿は六宿駅のひとつとして繁栄しました。酒造りで繁栄した富田は「北摂三銘酒」のひとつに数えられています。江戸時代の最盛期には24軒の造り酒屋があったとも言われています。

昭和6年になると三島郡高槻町、芥川町、清水村など5つの町村が合併して高槻町になりました。それから昭和18年には大阪府下9番目の市として高槻市が誕生しました。当時は田園風景が広がる農村でしたが、工場誘致や宅地開発により人口が急増しました。高槻市は現在では人口約35万人で、利便性の高い市として発展を続けています。