大阪市の歴史(2)

天下の台所として繁栄した大坂。大坂にとって最大の消費地だった江戸とは船で結ばれていました。幕末になると、米の凶作によって米価は高騰し庶民は大変困窮しましたが、大阪町奉行は庶民の救済をすることはなく米不足にもかかわらず、江戸に大坂の米を大量に送っていました。この貧民救済のために起こった事件が大塩平八郎の乱です。

明治になると、新政府から大阪町人へ莫大な御用金が課せられ、蔵屋敷の廃止、株仲間の解散などにより大阪は大きな打撃を受けました。数多くの大阪の豪商が破産し、大阪の人口も大幅に減少しました。この時期、大阪は明治維新によって江戸時代の繁栄を失ってしまったのです。

その後、五代友厚が大阪の経済的立地を活用して、大阪を工業都市として蘇らせます。大阪は西洋の新しい技術をどんどん取り入れて発展していきました。明治36年には天王寺と堺にて勧業博覧会が開かれ、大盛況となり、これをきっかけに大阪の文化と商工業は更に大きく発展したのです。

第一次世界大戦時は、海運業をはじめとして、紡績、染織、機械器具などの業界が好景気を迎え、大阪は飛躍的に発展しました。躍進する大阪の商工業に支えられて、大阪の人口も一気に増加しました。第二次世界大戦、朝鮮戦争を経て大阪の経済は安定し、大阪は全国で二番目に栄えている都市となりました。